屋号の由来

<>藤沢は時宗の総本山である藤沢山無量光院清浄光寺(遊行寺)の門前町として、また、戦国時代の頃より発展した 街道の宿場であり、江戸時代になると東海道の宿駅として栄えた地域です。
私ども国分屋は、江戸の頃よりこの藤沢の地において、地域住民の一員として、藤沢とともに歩んできております。
昭和初期に飯田酒店を廃業しましたが、約70年の時を経て、改めて「国分屋」として藤沢を中心にこの湘南・鎌倉地域に根ざした活動で新たに歩んでまいりますので宜しくお願いいたします。

2009年7月吉日 有限会社 国分屋

屋号の由来

1727年(享保12年10月)廿五日 晴天
○真浄院取次、国分や喜兵衛、日中過、於本堂ニ大衆集会、如列御焼香有之候
参考文献「藤沢山日鑑第一巻149項」
1756年(宝暦6年4月)十一日 曇天
○明七ッ時真浄院名代貞松院来リ、坂戸町国分や喜兵衛娘昨夜相果御焼香ニ候
参考文献「藤沢山日鑑第二巻463項」
1756年(宝暦6年4月)十五日 晴天
○当町飯田喜兵衛初七日、御斎米・御布セ青銅五百文、野菜色々差上ル
参考文献「藤沢山日鑑第二巻464項」

●明治20年代の旧藤沢宿での国分屋位置図(飯田福蔵)

●大正10年の藤沢駅周辺の国分屋酒店位置図

●昭和10年頃の飯田酒店位置図